Under Domain 1-4
いや。
忘れたくても、忘れられないというのが正しいかもしれない。
子供の頃、それほど嫌いではなかった――いや、どちらかと言えば、好きだったはずの暑さが、これほどまでに厭わしいのは、暑さと共に思い出さなくてもいい事まで思い出してしまうからだ。
「昂、俺、先行くぞ」
後部座席に置いてあった花束を取り出そうとしていた昂に向かって、そういった智樹は、昂の返事を待たずに歩き始めた。
九年前の今日。
丁度こんな時間に、智樹は両親を見送った。
何か、大切な用があるとかで、両親そろってどこかに出かけていったのだ。自分もついていくと、駄々をこねたが、智樹は連れてゆけないからと、昂に預けられた。けれど、そんな事は今までにもよくあった事で、その時は何も疑問には思わなかった。
あの日は、一日、昂と何をしていたのだろうか。何も思い出せないということは、特に何もなかったのだろう。ただ、両親は夕食時には帰ってこられないと言っていたから、昂と食事に行った事は覚えていた。
何が食べたいと聞かれたから、カレーが食べたいと答えた。そんな智樹の返答に、昂はげんなりとした表情を浮かべながらも、カレー屋に連れて行ってくれた。何故、そんな顔をしたのかと尋ねると、昨日もカレーを食べたのだと言っていた。
そんなどうでもいい事は、鮮明に覚えているのに、それ以降の記憶は、どんどん曖昧になる。
両親の帰宅予定時間は、確か九時だったと思う。
けれど、普段、時間に遅れる事のない両親が、九時を過ぎても帰って来なかった。車で出て行っていたから、途中で渋滞にでも巻き込まれたのだろうかと言っていた時、あの電話が掛かってきたのだ。
両親の乗った車が事故にあったと――。
その時の智樹には、まだ、事の重大さが、よくわかっていなかった。
青ざめた昂の横顔をみやり、何か良くない事が起こったのだということは理解した。すぐさま昂の車に乗せられて、両親が搬送された病院に向かった。だが、その病院自体が、高速を使っても一時間以上掛かる隣県の山奥で、そこにたどり着いた時には、両親は既に還らぬ人となっていた。
目も開かず、口も利かない父と母。
一体、何が起こっているのか。智樹には、まったく分からなかった。
朝、お土産を買ってくるからと言いながら、笑って出て行った両親が、何故、病院のそれも薄暗い部屋で寝ているのか。何故、どれだけ、名前を呼ぼうとも、何の反応も示さないのか。
何故、何故、何故――。
どこまで行っても、そんな言葉しか出てこなかった。
それは、九年たった今も同じではあったけれど。
それでも、その言葉の示す意味は、年を追うごとに変わって行った。
事故の原因は、スピードの出しすぎで、カーブが曲がりきれなかった事だったらしい。父親はあまり、スピードを出さない方だったけれど、帰りを急ぐあまりの、不幸な事故だったのだと、最初はそう思っていた。
けれど、よくよく考えれば、おかしなことが沢山あったのだ。
まず一点は、両親のいた場所というのが、昂が聞いていた目的地とは、まったくかけ離れていたと言う事。そして、もう一点は、どうやっても、約束の時間には帰り着く事の出来ない場所にいたというのに、事故以前にも、両親からは何の連絡もなかった事。
それに。これは、ずいぶん後に知った事だったのだが、両親の乗っていた車は、ブレーキオイルが抜かれていたらしいのだ。要するに、スピードを出しすぎたわけではなく、スピードを落とす手段がなかった、という事だ。それも、夜までは、普通に走行できていた事を考えると、出先でなんらかの細工をされたと言う事になる。
事故以降、昂はずっとなにやら調べていたから、おそらく、単純な事故ではなかったのだろう。
数年前に、智樹自身も、この件を調べてみようと思った事があった。
けれど、それに気がついた昂が、それを制したのだ。
頼むから、この件に首を突っ込むのはやめてくれ――と。
昂だって調べていたじゃないか。
そんな言葉が、喉元まで出掛かったが、あまりに必死な昂の表情に、その言葉を飲み込んだ。
だが、飲み込んだが故に、それ以上は調べられなくなったし、何も聞けなくなったのだ。
そして、無駄に時は流れた。
けれど――。
深い溜息をついた智樹は、墓地公園の中へと足を進めた。
そして、二人の墓石の前に来ると、智樹はすうっと目を細めた。
「父さん、母さん。久し振り。ごめんな、まだ、犯人見つけられなくて」
呟いた智樹は、ちらりっと後ろを振り返った。幸いにも、まだ、昂はずいぶん遠くを歩いていた。
まだ、あの事故を調べることを諦めていないと昂が知ったら、何を言われるかわからない。
それこそ、こと、情報集めに関して、情報屋にかなうわけがないのは分かっている。その情報屋を欺いてまで、調べ物をする事の大変さを、分かっていないわけではない。だからこそ、智樹は裏稼業に身を置くことを選んだのだ。
それに。
この数年間で、少しずつ集めた断片的な情報から、両親はどこかのアンダーに殺されたのではないか、という思いが脳裏をよぎった。昂の、あの、反応からいっても、それは、かなり信憑性のある考えであるように思えたのだ。
それならば、智樹自身が父親と――翔と同じ、アンダーであった方が何かわかる事もあるかもしれないと思ったのだが。それに関しては、まったくの無駄だったといってもよかった。
ここ数年、この仕事をしてきたが、ほかのアンダーを見たのは、昨日が初めてだったし、昂以外のコネクタの存在も、智樹は知らないのだから。
それになりに、仕事をこなせるようになれば、コネクタの方からコンタクトを取ってくるという噂を耳にはしていたから、それを待っては見たものの、そういう動きは、今までにはなかった。
思うに、昂がそれを制御しているのだろう。
多分、ほかのアンダーと顔を合せた事がないのも、昂がそう仕組んでいるからだと思う。
「何を真剣に、報告してるんだい?」
「――別に、報告なんてしてねーよ」
「ふうん? てっきり、二回も仕事をぶんどられた件を、翔に愚痴ってるかと思ったんだけど」
にやりっと、笑いながら言った昂に、智樹はふんっと鼻を鳴らした。
「誰が、そんな事、愚痴るかよ」
「そうなの?」
「ったりまえだろ」
言った智樹は、昂の手の中にある花束を見やり、すうっと目を細めた。
「っつーか、また、花、それなんだ」
献花にはめずらしい、ヒメヒマワリ。
ひまわりが好きだった、母親――沙耶の為に用意したものだろう。
「ダメかい?」
「別に、ダメって事はないけど」
「けど?」
「墓場にまで持ってくるもんじゃねーだろ」
「仕方ないじゃない。ここじゃあ、ひまわり、咲かないんだから。沙耶だって見たいって言ってるよ」
口元を軽く上げていった昂は、墓前に花束を置いた。
「って、これ、ヒメヒマワリだろ」
「仕方ないじゃないか。前に、ひまわりを持ってきたら、智樹が『そんなもん、こんなトコにもってくるな』って言ったんだから」
「俺、そんな事いってねーぞ」
「言ったよ」
「いつ?」
「一周忌の時だよ」
そんな昂の言葉に、智樹はすうっと眉を寄せた。そんな事を言った覚えなど、まったくなかった。
けれど、そんな頃なら、もしかして、そう言ったかもしれない。
そのころは、まだ、両親の死を受け入れられなかった時期だったから。
大きく花開くひまわりが、幸せだったころの象徴のように思えて、その花が、墓前に手向けられるのは、耐えられなかったのだ。
「……そんな昔のこと、いつまでも根に持ってなくてもいいだろ」
「別に、根に持ってるわけじゃないよ。それに、花屋で買ってくるのなら、こっちの方が、断然手に入れやすいしね」
「なら、俺のせいじゃねーじゃん」
「まあ、そうともいうね」
にっこりと笑いながら言った昂に、智樹は深いため息をついた。
そんな智樹をよそに、昂は墓前で座った。そして、すっと目を閉じると、手を合わせた。
昂の邪魔にならないように、すっと身を引いた智樹は、昂に背を向けた。
智樹にとって、この日がある意味特別であるように、昂にとっても、また、特別な日なのだ。どれだけ仕事が忙しくても、この日だけは予定を入れないのだから。
智樹の両親と昂は、幼馴染だったと言っていた。
両親に身寄りがなくて、昂が引き取ってくれたと聞いていたが、よくよく考えれば、何故、昂は智樹を引き取ってくれたのだろうか。今更ながらに、そんな事を思った。
逆算すれば、昂が智樹を引き取ったのは、二十八の頃だ。今の智樹と、十も変わらない昂が、いきなり、他人の子供を引き取るには、それ相応の覚悟がいっただろうに――。
「智樹」
呼ばれて振り返ると、昂がすぐ後ろに立っていた。
「帰るのか?」
「いや。これから、おやじさんの所に行くけど、お前も行くか?」
そんな昂の言葉に、智樹は首を傾げた。
確か、昨日の夜――いや、もう今日だったが、その時話では、そこには夜行くといっていなかっただろうか。
「――夜じゃなかったのか?」
「ああ、予定が変わったんだよ」
「ふうん」
「行くか?」
再度問われて、智樹はちらりと昂を見やった。
前に問われたときに、既に行かないと言っているのに、こう、何度も聞いてくるという事は、来いといわれているのと同じだと思う。だが、昂がそれを強要しない以上、選択権はこちらにあるわけで。
「いかねーよ」
ふいっと横を向きながら言った智樹に、昂はどこか困ったような表情を浮かべた。いつもなら、こんなふうに曖昧な事は言わない昂が、今日はどこかおかしかった。
「そう――か。行かない、か」
「なんだよ。もしかして、一人じゃ行けなくて、俺に一緒に行って欲しいのか?」
「……」
からかうように言った智樹に、昂は沈黙を返した。
まさか、そんな反応が返ってくるとは思っていなかった智樹は、慌てて「昂?」と、その名を呼んだ。
そういえば、昨日も件の『おやじさん』とやらには、あれ以来会っていない、といっていた。それが、あの事故の後だとするならば、昂の中にも、片付けられない何かがあるのかもしれない。
そんな事を思っていると、昂が深い溜息の後、ゆっくりと口を開いた。
「あの事故の事、知りたくないか?」
真っ直ぐに智樹を見据えて言った昂に、智樹はごくりっと息を呑んだ。
「――あの、事故?」
「ああ。九年前の事故の事、だ」
この件には、首を突っ込むなと言った昂が、なぜ――。
「どういう、事だよ」
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